性別で役割を決めつけるとなぜ差別になるの? 小さな差別が社会問題をうみだしている話

こんにちは! ヨス(プロフィールはこちら)です。

日本社会には、「女性=お茶くみ」「男性=運転」のような決めつけがたくさんあります。

「それって当たり前じゃないの?」という人もいますが、それは差別だと断言できます。

本記事では、性別で役割を決めつけるとなぜ差別になるの?という問題についてお話しますね。

日本によくある性別役割分業

日本には性別によって決められた役割・イメージがあります。例をあげましょう。

女性の役割・イメージ

  • お茶くみ
  • 家事
  • 介護
  • 癒やし
  • 美しくあるべき(化粧をする)

女性には、上のような役割、イメージが多いのですが、共通するのは「(男性から見て)女性は補助的な役割」という役割ですよね。

逆に男性はどんな役割、イメージがあるのでしょうか?

男性の役割・イメージ

  • 外で働く
  • 運転
  • 決断力がある
  • 「会長」のような立場
  • 強い

女性への決められた役割やイメージとは違い、「主になって動く」という共通点があります。

こういうことを言うと「性別に役割があるのはあたりまえじゃない? だって女と男は違うんだから」というもっともらしい意見をよく耳にします。

「子どもを産めるかどうか」という点だけでいうと、女性と男性はたしかに違います。

でも、それ以外の部分は本当に「性差」があるのでしょうか?

すべての女性が美しくあるべきなのでしょうか?(参考: 男性より女性のほうが美しい理由

すべての男性が決断力を持つべきなのでしょうか?

ちなみに、わたしは外で働くのも苦手だし、力も弱いです……。

問題は性別に対して「1つの価値観」を押し付けている点

「女性は補助的であれ」のような決めつけが持つ問題は、性別に1つの価値観を押し付けているという点です。

つまり、こういう公式が成り立っているということになりますよね。

  • 補助的な役割をすることが「女性として正しい(=女らしい)」
  • 主導権を持つような役割が「男性として正しい(=男らしい)」

現代の日本ではそうなっていますよね……、残念ながら。

たとえば、わたしは人の前に立って指示をするのは苦手です(というか集団生活が苦手)。

でも、男性というだけで「PTAの会長をしてほしい」と頼まれたことがあります。

それはわたしの能力を評価しているのではなく、わたし個人の特性は完全無視で「男性である」というだけで勝手に決めつけているんです。

わたしは断れる人間なので断りましたが、断れない人の場合、不利益を被りますよね。

自分にはできないことを受け入れてしまうとストレスがたまったり、上手くやれないことに対する自己肯定感が低下するかもしれません。精神的に病んでしまうかもしれません。

向いていないことを引き受けると、悲惨な状況になるのは自明の理ですから……。

ちなみに「受けたほうが悪い」と自己責任論で展開する人がいますが、向いていない人に「男性である」という理由だけでお願いするほうに問題があります。

ある価値観が称賛されることによる問題

そして、ある特定の価値観が称賛(しょうさん)されるようになると、その価値観に反する価値観が「その性別にとってふさわしくない」ということになります

「女性は補助的であるべき」という価値観ができると、「女性はリーダーになるべきではない(だって女らしくないから)」という対抗する価値観が生まれるということです。

ここで「人の上に立ってアグレッシブに働きたい」と考える女性がDNA的に存在しないのなら問題ありません

もしそうであれば「性差」になるので、「区別」ですから。

でも、そうじゃないですよね? 社長になる女性や、他国だと国のトップになる女性もいます。

性格や考え方と性別は関係ないため、特定の価値観にそぐわない人は無数にいる。だから問題なんです。

上で例にあげた「人の上に立ってアグレッシブに働きたい」と思っている女性が「あなたは女性らしくない。もっとおしとやかにするべきだ」のように言われるとどうでしょうか?

自分の存在を否定されたみたいで苦しいですよね? 悔しいですよね? 腹が立ちますよね?

本来、人の上に立つことで能力が発揮できる人が、女性だからという理由だけで適正のある仕事がやらせてもらえないわけです。

「あなたは女だから役員にはなれない」とか「あなたが男だったらよかったのに」と。能力のある人材の損失にもつながり、非合理で非効率すぎます……。

こんなふうに、特定の集団や属性(ここでは「女性」)に属する人が、正当な理由もなく不利益を被ることを「差別」と呼びます

つまり、「あなたは女(男)だからダメ」というふうに言うことが差別だということです。

差別はそこらじゅうに蔓延している

こんな差別は小説やドラマの中だけの話ではありません。

日本のそこらじゅうに空気のように蔓延していて、差別を差別と感じられないレベルです。

よく耳にしますよね。

女だったら化粧しろよ」とか「男のくせにウジウジするな」とか。

女のくせにでしゃばるな」とか、「男のくせに飲めないのかよ」とか。

女って感情的だよな」とか「男ってバカばっかり」とか。

それは本当に性差なのでしょうか? 性染色体に埋め込まれているのでしょうか?

美容に興味を持たない女性はダメなのでしょうか? 逆に男性が化粧に興味があってはいけないのでしょうか?

男性だけがウジウジしてはいけないのでしょうか? 

女性もウジウジしないほうがよくないですか?

性別で役割を決めつけると、幸せになれるのはその役割、価値観と自分の考え方、思考が一致している人だけになってしまうのです。

そういう性別による決めつけを無くさないと不利益を被る人がいるから、性別で役割を決めつけることはよくないのです。

小さな差別からなくしていかないと改善しない

たとえば、「お酌を女性にやらせるのは差別だ!」という意見に対して「そんな小さなことに目くじらたてなくても……」という人がいます。

でも、こういう小さな積み重ねが社会を構築しています。

「社会問題」という文字が「差別」という文字で作られている図
「社会問題」という文字が「差別」という文字で作られている図

「女性=お茶くみ」と、「女はでしゃばるな」はつながっているし、その先には「DV(配偶者暴力)」のような大問題にもつながっているんです。

「DV」などの犯罪の根底には、「女は男に従うべき」のような価値観(差別)がありますからね……。

小さな差別が積み重なり、大きな差別や犯罪を築いているというわけです。

小さなポイ捨てを許容し続けていると、気がついたら窓ガラスが割れはじめ、犯罪の多発する地域になる……という理屈と同じです。

「DV(現れた社会問題)」だけを排除しようとしても、根底にある「女性=補助的な役割」という価値観があるかぎり「雨後の(たけのこ)」ですから。

さらには、小さな差別の現場を、子どもたちが「そういうもの」だと学習すると、差別を「あたりまえのこと」だと学び、大きくなってその差別をまた自分の子どもたちに伝えていくのです。

だから小さな差別を少しずつ改善していく必要があるということです。

今回は、性別で役割を決めつけるとなぜ差別になるのかというお話でした。

差別に対して寛容な人は、その差別に対して「当然」と思える人で、「社会の期待」と「自分の嗜好」が一致している人で、本当に運がいい人です。

日本にはたくさんの小さな差別があって、それが大きな問題を積み上げているということを知っていただけるとうれしいです。

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