こんにちは! ヨス(プロフィールはこちら)です。
日本の3月……と聞くと真っ先に思い浮かぶのが「卒業式」ですよね。
今回はわたしがいつもこの時期になると思う卒業式の「練習」についてです。
ええ。卒業式の練習なんて撲滅してほしいです。
目次
学校の卒業式の「練習」って不要ですよね?
卒業シーズンになってくるといつも思います。
学校の卒業式の「練習」って意味がわからない!
卒業式って、なぜあそこまでして練習しなければならないんでしょうか?
卒業式って卒業生を送り出す式ですよね。
そもそも卒業式に「練習」なんているの?
しょっぱなから核心をつきますね。
なぜ「卒業式」に練習がいるんですか?
卒業式って本番だけでいいような類のものです。卒業って学校を出て次の進路に進むことを祝う(?)式ですから。
大袈裟に言うと、結婚式や葬式の練習をするぐらいの違和感をわたしは持っています。
おかしすぎじゃないですか?
授業を削ってまでやる価値があるの?
この卒業式の練習ですが、2週間か3週間前から授業や休み時間を削ってまで行われるのです。
え? なに? 授業を削るほどの価値があることなの?
ただでさえ、3月という季節はインフルエンザの学級閉鎖で授業時間が減ってたりしますよね?
そんなことやっている暇があったら授業したほうがいいのではないでしょうか?
在校生が出席する理由はあるの?
卒業式には、在校生も出席させられますが、これも意味がわかりません。
わたしが卒業式に在校生として参加した過去を思い出してもこんな気持ちしか思い出せません。
「はよ終われー!」
そして、在校生がやることといえば、テンプレートになっているセリフを言わされるとか、わたしの時代なら海援隊の『贈る言葉』を歌わされるとかです。
いまだに小学校のときに言っていたセリフを覚えています。
「運動会のーかけっこでぇーケガした足に包帯をーやさしく巻いてくださった……
お姉さん(全員で)」
いや、どんなシチュエーションや! 包帯するなんてどんなケガや! ありえへんからマジで!!
もはや妄想ですよね……(「女はこうするべき」という偏見でもあります)。
こんなスーパー茶番なことをさせられるために授業を削って練習するわけですよね……。もう涙が出てきそう。
せめて在校生はふつうの授業やりましょうよ! 時間は有限です。
軍隊教育かよ!!
そもそも、「起立」や「着席」をみなが一斉に強制させられるのも気持ち悪いといえるでしょう。
先生の「起立」という掛け声もやめてほしいです。軍隊ですね、まさに。
起立の仕方とか礼の仕方も一つの型に当てはめようとしますが、あれもイヤすぎです。
1人の個としてではなく、群衆としてしか見ていないのでしょうね。
「『全体』として見て美しいかどうか」にだけ焦点を当てているから、「そろっていないとダメ!」になるんですね。
21世紀ですよね今って……。
そして、賞状を受け取るときに決められた型どおりに受け取らないといけないのも、見ていて気持ちが悪いです。
1人1日が効率よく動いてスムーズに「卒業証書授与」が終わるようにするのですが、見ていてベルトコンベアに乗った商品かなにかに思えてきました。
性差別じゃないの?
あとすごく気になるのが、性別を境目にして座るときの「型」を変えることです。
- 女子: 両手を揃えて(あわせて)膝の上に置く。両足は閉じる
- 男子: 手をグーにして膝の上に。両足は肩の幅ほど開いて
これはホントに危険です。完全に病気ですね。
こういう動作を「性」に関連付けるのは本当に日本の性差別を生産している元凶です。
この時代になってまだこんなことをやっているんですよね。
驚くべきことに「LGBT」の存在を完全無視です。セクシャルマイノリティーへの人権侵害です。
いまだに日本ではこんなことを学校で学ばされているという……。まさに「隠れたカリキュラム(The Hidden Curriculum)」です。はやく廃れるべき。
そもそも、座り方を一つに固定させるのって何なんでしょうね……。気持ち悪すぎる。
なんで動いたらいけないの???
うちの子どもや甥っ子の小学校の話を聞くと、ちょっとでも動くと「動いたらダメ!」と注意されるんだそうです。
甥っ子の通っている小学校はけっこう厳しく言われるそうで、甥っ子は緊張しすぎて気持ち悪くなって保健室に行ったそうです。
かわいそう……。
全校生徒が密集して、緊張感を与えられて、ちょっとでも動いたら注意される。
小学2年生にこんな体験は不要ですよ。得るものなし。
わたしが中学校のときは最悪で、怒鳴られたりしてましたね。メガホンでシバかれたり……とかふつうに見かけている時代でした。完全に拷問で、人権侵害です。
いや、これは本当に理解不能すぎなのですが、顔がかゆくてそれをかいても「動くな!」と注意されるのはなぜですか?
なぜ、卒業式の間は動いてはいけないのでしょうか?
人間の行動を抑制し、動いたら制裁(注意)を加えるというのは……
ぶっちゃけ法律に触れないのですか?
「動くな!」なんてセリフ、銀行強盗か先生ぐらいですよ、言うのは。
目的は「操りやすい人間」をつくることですか?
こうやってまとめていると、だんだんと卒業式の目的が見えてきました。
無価値な卒業式の練習に長々と耐えることで「理不尽なものにも抵抗せず我慢する能力」を身につけること
つまり「操りやすい人間を作ること」が目的です。
「極度な忍耐の追求は『間違ったことにも反抗しない危険な従順さ』を得ること」という記事にも書きましたが、こういう体験は無抵抗な人間を作り出すことにはかなり貢献しています。
「操りやすい人間をつくること」が一番の目的と考えれば、日本の学校でやっているすべてのアクティビティは合理的だな。そうなると卒業式やその練習に長々と耐えることで「理不尽なものにも抵抗せず我慢する能力」は抜群につくはず。
— ヨス ← 海外移住めざすプロブロガー (@yossense) March 12, 2016
こんな行事が人生のなかで何度も行われると、「なんでこんなことせなあかんのやー」と文句を言いながら「我慢し続ける経験」が蓄積されます。
すると、我慢しないことが悪になります。そうなると、完全に思考停止になります。
卒業式って「続いてきたから続けているだけ」ですよね?
ではなぜこんなにも価値のないアクティビティーである「卒業式」をやめないのでしょうか?
先生たちがすでに「間違ったことにも反抗しない従順さ」を持ち合わせているからでしょう。
そもそも、おかしいことにも気づいていないのかもしれません。
気づいていなかったとすれば、ぜひ気づいてください。
時代に合った運営ができてないことに!
今までに続いてきたから続けているのが卒業式でしょう。
日本にはそういうのがほんとに多いですよね。
ほとんどの人が知っていると願いたいのですが
「物事を続けること」自体にはなんの価値はありません。
大切なのは、ムダを省いて有益なことに投資することでしょう。
こんな考え方を学校で植え付けられるから、サラリーマンの仕事にもムダが多いのでしょうね。
「それ、WEBツールで情報共有したらおわりですよ……」というようなことばかり。
っていうか「卒業式」自体要らないですよね?
もう、最後に言わせてください。
「卒業式」自体が要りませんよね?
卒業式(そつぎょうしき)は、教育課程を全て修了したことを認定し、そのお祝いをする式典である。特に日本では、学校教育法施行規則によって定められた学校行事となっている。欧米でも大学の学位授与の式典はあるが、各学校の修了ごとに祝う式典は日本と韓国でのみ見られる習慣である。
卒業式 - Wikipediaより引用しました。
Wikipediaによると、主に日本と韓国ぐらいなんですねー、こんなムダなことをしている国は。
子どもの学力が低下しているとか、授業時間が足りないとか、先生が忙しすぎるとか……こういう声ってよく聞きます。
だったらムダを省きませんか?
やめてもだれも困りません。むしろ授業時間も増えるし、先生方の負担も減るし、間違った価値観を教えなくて済むのです。
そして、個人の能力が上がる……と、いいことだらけです。
いやー、こうやってまとめてみたらよーくわかりますね。
卒業式と卒業式練習に、価値がないことが。
ぜひあなたの学校から率先して卒業式廃止をしてみませんか?