こんにちは! ヨス(プロフィールはこちら)です。
「自分に生きる価値はあるのだろうか?」と思ったことありませんか?
わたしはネガティブだった10代のころにそう思ったことがあります。
では「自分には生きる価値はないのか?」ということについて考えてみましょう。
自分に「生きる価値」はあるのか?
「自分に生きる価値はあるのか?」
いやー、めちゃくちゃ壮大な問いかけですよね。
「自分が生きる価値」なんて、たぶん地球から見れば「ない」でしょうね。
むしろ人間は、たった1人だとしても地球の環境を悪化してる一部だともいえるので、いないほうがいいのかもしれません(笑)。
地球からの視点で見ると「生きる価値がない」になってしまうので、ここでは視点を変えましょう。
家族から見ると「生きる価値」がある
では、家族からの視点に変更してみましょう。
自分の母や父から見ると、自分の生きる価値はどうでしょうか?
どんなにダメダメな生活をしていても「生きているだけで価値がある」と思われてることが多いです。
3人の子どもの親であるわたしは、しみじみとそう思います。
先ほど、地球から見た視点と比べると「価値が逆転している」ことにお気づきでしょうか?
そうです。どこに焦点を当てるかで「生きる価値」は180度変わるのです。
おまえに生きる価値はないッ……の?
現実に「おまえに生きる価値はないッ!!」みたいに言う人がいるかわかりません。
でも、漫画では見かける表現ですよね。
なので、「もし言われたら」ということを仮定して話を進めます。
「おまえに生きる価値はない」と言ってきた相手にとって、言われたほうは生きる価値はないのでしょうか?
それは「本当のこと」かもしれません。……いえ、事実ではなく、主観としてそう思っているということですよね。
でも、そんなイヤなことを言う相手自体、こちらから見ると「生きる価値がない」ですよね(笑)。
そうなのです。そんなものなのです。
すべての人の視点が違う
前述したように、すべての人は視点が違います。
そのため、誰の視点にするかによって「自分の生きる価値」は180度変わるんですよね。
もし「おまえに生きている価値がない」とゴミのような上司に言われたとして「オレには生きている価値がないのか……」と落ち込む必要はありません。
そんな「イヤな人からの視点」になるなんて馬鹿げていますよね。
なぜ、自分に対してネガティブなことを言ってくる「イヤな人(嫌いな人)」の気持ちになって考える必要があるのでしょうか?
そんな時間を自分の人生に1秒でも作ったらもったいないです。
ということで、どうせなら家族のように「自分の大切な人」からの視点になりましょう。
そうすることで「生きる価値」は最大値になりますから。
今回は「生きる価値」という相対的な言葉について考えてみました。
もし「おまえ、生きる価値あるの?」なんて言われたら、心のなかで「オレから見たらおまえが生きる価値ねーよw」と笑い飛ばしてやってくださいね。
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