こんにちは! ヨス(プロフィールはこちら)です。
私は察するのが苦手です。いつからかと言われると、子どものころから苦手でした。ということで、今回は「察すること」について。
母から「察しなさい」と言われ続けて育った
私は、子どもの頃から母に「察しなさい」と言われ続けてきました。というのも母が言っていることがよくわからないことが多かったんです。
私の言い分では、母の発話は「主語が不明確」で「相対的表現や指示語が多い」し、「文脈が読みにくい」といろんな理由があるのですが、とにかく話がわかりませんでした。
それで私が「ええ??」と困惑してたり、「意味がわからん」と言うと必ず「あんたは察するということをしない! ちゃんと察しなさい!」と毎日のように言われていました。20歳を超えても言われていましたね。
もうね、察するということができないのにこんなこと言われても困ります。
厳密に「察する」ことはできる
すみません。今、「察することができない」と書いたばっかりですが、ウソですね。私も察することはできます。
でも私の感覚がズレ過ぎているのか、間違った解釈になることがほとんどなんです。そうすると母にとっては「察していない」という現象を私に当てはめることになります。
私も私なりに察していましたからね。結局のところ、察するというのは憶測です。エスパーではないほとんどの人間は外れることがあります。当然ながら(笑)。
まぁ、とにかく私が察したことはかなりの確率で外れるんですよ。ちゃんと伝えないといけないことがあったとして、それを相手の解釈力に委ねるのってすっごく不健全ですよね。
会話の目的って相手の「察する能力」を試すことではない
会話をする目的って、自分の伝えたいことや伝えるべきことを対話相手に伝えることです。
わかりやすく発話して伝えたら良いではないですか? なんでそこを怠って、相手の解釈する力を試すような行動をするのか未だに謎です。
察し損ねたときの損害を考えてみてくださいよ。ってか、会話の目的って相手の「察する能力」を試すことではないですよね。目的を見失ってはなりません。
相手に伝えることがあるのなら、自分の「伝える力」を磨きましょう。自分のスキルの足りなさを相手に責任転嫁するのはやめましょうね。
さて、今回は私がずーーーーーっと子どもの頃から言われていたことを書きました。
察することって、相手が微妙に表現している言動から相手が本当に思っていることや言いたいことを推測するんですよね? すっごく専門的なスキルが必要で、得意な人と苦手な人がいるのは当然です。
逆に「伝える力」は誰でも磨けば身につきます。相手のことを考えて話せばいいだけですからね。社会に出て「伝える力」って必須だと思うのですが、古来の日本ではなくても良かったんですかね。すごいな。