「語感」は一人一人違うということ

こんにちは。食べ物にはあんまりこだわりのないヨス(プロフィールはこちら)です。

実は、わたしはずっと自分のことを「食べ物にこだわりがない」と認識していました。

確かにこれは間違っていないのですが、昨日、義妹と話をしていたときに、ちょっと認識が変わりました。

私は「食べ物にこだわりがない」のですが、でも「食べ物にこだわりがある」ということがよくわかりました。

そして言葉の「語感」について考えさせられたので、それについて記事を書こうと思います。

食べ物にこだわりがない

私が「食べ物にこだわりがない」と自己認識していた理由は、晩ご飯で何を作ってくれても美味しく食べるからです。

友達と外食に行くときも「禁煙ならどこでもいい」といつも言います(タバコはダメなんです)。

なので、何を食べるかに関して、全くこだわりがなく、好き嫌いもほぼない感じです。

でもこだわりが一つあった!

ところが、自分でも気付かなかったのですが、食べ物に関して気にすることが一つだけありました。

それはその食べ物が健康であるかどうかです。でも、そこまで強烈なものではありません。

例えば、肉ばっかり食べたらあかんよな~とか、加工食品ばっか食べたらよくないやん~とか、そんなレベルです。

健康志向??

義妹の話では、それは健康志向だよと言うことです。

わたしの中では、このレベルが健康志向って呼べるものなのか?!っていうのがあって、これが「健康志向」と呼ばれるに値するとは夢にも思いませんでした。

でも確かに、大手ハンバーガーショップばっかりに行くのは絶対に嫌です。

基本的にお菓子とかジュースも買わないようにしています

つまり、私と義妹の持つ「健康志向」という言葉の意味の範囲が違っていたんです。

それを「語感」と呼ぶ

そうです。「語感」の話です。「語感」とはこういう意味です。

1 言葉のもつ微妙な感じ。言葉から受ける主観的な印象。「京都弁のおっとりした―」
2 言葉に対する感覚。「鋭敏な―の持ち主」

ごかん【語感】の意味 - 国語辞書 - goo辞書より引用しました。

つまり、言葉に対する感じ方の違いですね。

今回の話では、私と義妹の「語感」の差について書いていますが、何ら珍しいことではありません。

周りの人との語感の差を感じることは日常茶飯事ではないでしょうか?

だってみんな住んでいるところや、育った時代や、属性、経験したことが全然違いますから。

「健康志向」に対する私の語感

既述しましたが、私は「健康志向」という言葉に対して、もっと崇高なものというイメージがありました。

わたしがファーストフードを避けているレベルのものは「健康志向」には及ばないだろうと。

でも義妹が思う「健康志向」は「ちょっとでも健康を考えている」レベルのものも含むようです。

私の「健康志向」に対する語感より、義妹の持つ語感の方が範囲が広いというわけですね。

「食べ物にこだわる」に対するわたしの語感

この記事を書いていて気づきました。わたしが自分を「食べ物にこだわりがない」と表現する理由にです。

ここにも語感が潜んでいたんですね。

わたしは食べ物にこだわりがあるということに対してネガティブなイメージを持っていました。

例えば、作ってもらった晩ご飯に対して「これはもう少し酢を足さないと!」とか「この季節のハマチは美味しくない!」とか文句を言うイメージ。

そして義妹の「食べ物にこだわりがある」に対するイメージは、驚くことにポジティブだったのです。

逆に義妹の「食にこだわりがない人」に対するイメージは、不健康な食品もなんでもかんでも毎日食べるようなイメージだったそうです。

ちょっとした会話でも気付きってあるものですね。

さて、今回はひょんなことから考えさせられた「語感」について書きました。

だれかと話すことは学びがありますね。